子どもの頃に映画を観た際、清太と節子にいびりや嫌味を連発する西宮の親戚の叔母を「極悪非道な敵」と感じた人は少なくないはずです。しかし、成人後に鑑賞した多くの鑑賞者が「実は叔母の言っていることが完全に正論だった」と考えを改める現象が起きています。
当時の戦局は1945年(昭和20年)夏。本土空襲が激化し、日本全国が極限の食糧難に追い込まれていた時期です。国策による配給制度は崩壊寸前であり、国民一人ひとりが隣組の規律に従って必死に生き延びていました。叔母の家でも、実の娘は軍需工場で働き、下宿人は国のために出征していくというギリギリの家庭環境でした。
その緊迫した状況下で、叔母が清太に投げかけた「お国のために働いている人たちのご飯と、一日中遊んでいるだけのあんたらのご飯が同じでいいわけがない」「男子なら学校へ行くか、勤労動員で汗を流しなさい」という言葉は、戦時社会の冷徹な生活防衛本能に基づく正論にほかなりません。以下の比較データは、当時の社会基準と清太の置かれた状況の隔たりを客観的に示しています。
叔母の言い草に悪意や冷淡さが混じっていたのは事実としても、共同体全体の生存を最優先しなければ共倒れになる極限状況において、叔母の主張を一方的に断罪することはできません。むしろ、家庭のルールや社会規範を完全に無視して部屋に引きこもる清太の行動様式こそが、叔母の苛立ちを臨界点に達しさせたトリガーでした。