当時の社会力学を理解する上で欠かせないのが、複線型の戦前教育制度です。
明治期から整備された尋常小学校(6年間)は義務教育であり、その就学率は大正期には99%を超えていました。国民全体の識字率は世界最高水準に達し、これが近代的な工業化を支える質の高い労働力を生み出しました。
しかし、小学校を卒業した後の進路は現代の単線型(小・中・高・大)とは全く異なり、極端な分岐が存在していました。
大半の子どもたちは高等小学校(2年間)に進むか、そのまま丁稚奉公や農業などの労働に従事しました。旧制中学校や高等女学校へ進学できたのは富裕層や都市部の中産階級に限られ、さらにその先の一高・二高をはじめとする「旧制高等学校」から「帝国大学」へ進める者は、同世代の上位1〜2%にすぎない超エリートでした。
この極端な教育格差は、学歴を持たない大多数の庶民層に「エリート層や財閥への強い不満」を鬱積させる土壌となりました。昭和初期に軍部の革新将校たちが「腐敗した既得権益層を倒し、貧しい農村を救う」というスローガンを掲げたとき、多くの庶民が熱狂的に支持した背景には、教育と社会階層の固定化に対するルサンチマンが存在していたのです。