鳥山石燕の創作であったとしても、なぜ煙々羅という発想は不自然さを感じさせず、すんなりと人々に受け入れられたのでしょうか。その背景には、人間の脳の認知メカニズムと、日本人が古来より培ってきた自然観が深く関わっています。
認知心理学では、点や線、無意味な陰影が3つ集まると自動的に人の顔として知覚してしまう脳の働きを「パレイドリア現象(壁のシミや天井の木目が顔に見える錯覚)」と呼びます。揺らめく煙の輪郭、濃淡のグラデーションは、このパレイドリアを引き起こす格好の媒体です。囲炉裏やかまどで火を焚く生活が当たり前だった時代、立ち上る煙をじっと見つめていた人々が、そこに誰かの表情を見出してしまうのは極めて自然な生理現象でした。
さらに、民俗学が説く「境界性への恐れ」も見逃せません。気体である煙は、形を持たず、どこからともなく現れては空中に霧散します。「固体」でも「液体」でもない中間の状態、現世と異界の境目のような曖昧さに対して、人間は本能的な畏怖を抱きます。石燕はその普遍的な錯覚と畏れに「煙々羅」という洗練された輪郭を与えたに過ぎないのです。
【プロの結論】古典怪異から現代エンタメを楽しむための視点
古典妖怪を深く味わう上で最も重要なのは、「本当に実在した土着信仰なのか」と「誰かの知的な創作なのか」を白黒思考で切り捨てない姿勢です。江戸時代の石燕が言葉遊びを凝らして描いた煙が、令和の現在、美麗な女性キャラクターや圧倒的なアクションゲームの巨魁として躍動している事実そのものが、日本の文化伝承のダイナミズムを証明しています。
「本物の伝承だけをありがたがる人」には物足りなく映るかもしれませんが、「人間が形のない現象に意味を与えてきた想像力の歴史」を愛せる人にとって、えんらえんらはこれ以上なく知的好奇心を刺激する題材といえるでしょう。