江戸時代中期から後期にかけて商業経済が爆発的に発展すると、うだつは単なる防火壁の枠組みを超え、商家の経済力を誇示する装飾建築へと進化を遂げました。通りに面した屋根の両端に高く競り上がったうだつは、道行く人々に対して「この店はこれだけの巨費を投じられる大店(おおだな)である」という無言の信用証明となったのです。
美濃和紙の産地として名高い岐阜県美濃市や、藍染めの取引で莫大な富を築いた徳島県美馬市脇町には、現在も重厚な「うだつの上がる町並み」が国の重要伝統的建造物群保存地区として現存しています。当時の記録や現地資料によると、うだつを1基新設・改修するだけでも、現在の貨幣価値にして数百万円から一千万円規模の費用が投じられていました。
財力のない長屋暮らしの町民や事業が軌道に乗らない零細商人には、自前のうだつを立ち上げることなど到底不可能です。この歴然たる経済格差から「財力があって立派なうだつを構える=うだつが上がる」「費用が工面できずうだつを設けることができない=うだつが上がらない」という対比が生まれ、転じて「出世しない」「境遇に恵まれない」という意味の慣用句として広く定着しました。