初心忘るべからずの本来の意味とは?世阿弥が遺した三つの教訓と真実

初心忘るべからずの本来の意味とは?世阿弥が遺した三つの教訓と真実

初心忘るべからずの本来の意味とは?世阿弥が遺した三つの教訓と真実の重要なポイントについて、専門知識を基に徹底解説します。

『花鏡』の奥書において、世阿弥は「初心忘るべからず」というフレーズを単体で提示したわけではありません。そこには明確な続きがあり、人生のフェーズに応じた「三つの初心」を提示しています。この全体像を把握して初めて、世阿弥の真意が見えてきます。

第一が「是非の初心忘るべからず」です。これは若い頃の未熟な芸の良し悪し(是非)をしっかり心に刻んでおけという教えです。「未熟だった頃の芸を覚えておかなければ、現在の成長を正しく測ることもできず、やがて初心の拙さに逆戻りしてしまう」と警告しています。過去の失敗と現在の位置を比較する「ものさし」を手放さない姿勢を求めているわけです。

第二が「時々の初心忘るべからず」です。これは年齢や立場が変わり、新たなステージに進むたびに、その時々で初めて経験する未熟さと対峙しなければならないことを意味します。20代の若手時代を乗り越えて30代の中堅になれば、中堅としての新たな芸の難しさにぶつかります。40代、50代になっても同様です。人はある程度の実績を積むと「自分はもう一人前だ」と錯覚しがちですが、環境や年齢が変われば誰しもが再び「初心者」になるのです。その新たな未熟さから逃げず、学び直す覚悟を持ち続けることを求めています。

そして第三が「老後の初心忘るべからず」という極めて峻烈な境地です。肉体が衰え、若い頃のように動けなくなった老年期に至っても、なお「老境に達した自分には老後相応の未熟さがある」と認め、その年齢だからこそ生み出せる表現を模索せよと説きます。世阿弥は足利将軍家の庇護を失い、晩年に佐渡へ配流されるという過酷な運命を辿りましたが、最期まで芸に対する甘えを捨てませんでした。「生涯を終える瞬間まで自分は完成していない」というこの覚悟こそが、世阿弥の哲学の骨子です。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。