ラムとマトンの味の違いを語るうえで避けて通れないのが、「独特の匂い(フレーバー)」に関する議論です。ネットや飲食店の口コミでは「マトンは臭い」「ラムはクセがなくて食べやすい」という二項対立で語られがちですが、この香りの発生メカニズムには明確な生化学的根拠があります。
羊肉特有のフレーバーの主たる原因物質は、脂質に含まれる分岐鎖脂肪酸(4-メチルオクタン酸や4-メチルノナン酸)と、牧草の葉緑素(クロロフィル)が第1胃(ルーメン)内の微生物によって分解されて生じる「フィトール代謝物」です。子羊の時期はこれらの成分が体内にほとんど蓄積されていませんが、月齢を重ねて牧草を大量に反芻消化するにつれて、皮下脂肪や筋肉の間質脂肪に成分が濃縮されていきます。
これが、マトンが「獣臭い」と感じられる生化学的な理由です。しかし、食肉科学の専門家や一流シェフの見解は異なります。この揮発性脂肪酸こそが、加熱によって肉汁と合わさった際に重厚な「旨味のボディ」を形成する芳香成分そのものだからです。淡麗でクセがなく、牛肉のヒレ肉に近い感覚で食べられるラムに対し、マトンは噛み締めるたびに濃厚な野性味と力強いアミノ酸の旨味が口内を満たします。香りを「臭み」と捉えるか「芳醇な個性」と捉えるかによって、両者の評価は劇的に分かれます。