日系社会を深く理解するうえで避けて通れないのが、19世紀末から始まった日系移民の歴史です。日本人の集団移住は、1868年(明治元年)のハワイへの「元年者」から本格化しました。その後、貧困対策や国策としての移民奨励により、多くの日本人が海を渡りました。
南米への移民史を象徴するのが日系ブラジル人の歩みです。1908年、781名の日本人を乗せた移民船「笠戸丸(かさとまる)」がサントス港に到着しました。当初、彼らを待ち受けていたのは過酷を極めるコーヒー農園での奴隷同然の労働環境でした。言葉も通じず、マラリアなどの風土病に倒れながらも、日本人は持ち前の勤勉さと高度な農耕技術で荒野を開墾しました。やがて綿花やジャガイモ、大豆の栽培を成功させ、「ブラジル農業の父」と称賛されるほどの社会的地位を築き上げていったのです。
一方、北米の日系移民が直面したのは、人種差別と国家間の戦争に引き裂かれた過酷な試練でした。1941年12月の太平洋戦争勃発直後、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは「大統領令9066号」に署名しました。これにより、西海岸に暮らしていた約12万人もの日系人が強制収容の対象となったのです。
財産や自宅を二値同然で手放すことを余儀なくされ、鉄条網と監視塔に囲まれた砂漠のバラックへ強制移送された人々のうち、実に3分の2はアメリカで生まれ合衆国市民権を持つ日系2世でした。敵性外国人という理不尽な疑いを晴らすため、日系2世の若者たちで編成された「第442連隊戦闘団」は欧州戦線へ投入され、米軍史上最多の勲章を受けるほどの激戦を繰り広げました。「自らの血をもって祖国への忠誠と尊厳を証明した」この歴史は、今なお日系アメリカ人のアイデンティティの根底に刻まれています。