インターネット上の掲示板や動画サイトでは、「滑舌を良くする方法」としてアナウンサーが用いるような難解な早口言葉や、口に割り箸を咥えて発声するトレーニングが手軽な解決策として紹介されています。しかし、発声解剖学の観点から見れば、これらは時に危険な逆効果をもたらします。
調音の基礎筋力が不足している状態、あるいは顎関節に不調を抱えている人が無理に早口言葉を繰り返すと、脳は「舌を正しく動かす」ことではなく「力任せに音を濁して辻褄を合わせる」という代償運動を学習してしまいます。その結果、舌根部(舌の奥)に余計な力みが定着し、かえって発音の不明瞭さが固定化してしまうのです。
また、「割り箸を横に噛んで喋る」という伝統的な訓練も、顎関節症を抱える人が行うと顎関節腔を圧迫し、関節円板のズレや炎症を悪化させる重大なリスクを孕んでいます。ボイストレーニングによる滑舌改善において最優先されるべきは、スピードではなく「正確な調音点の把握」と「不要な緊張の脱力」です。
サ行が「シャ・シィ・シュ・シェ・ショ」と摩擦音が潰れてしまうのは、息の通り道である正中溝(舌の中央のくぼみ)が作れていないためであり、タ行がもつれるのは舌尖が上前歯の歯茎(歯槽堤)を弾くスピードと圧力が不足しているからです。がむしゃらに速さを求める訓練は、フォームを崩したままダッシュを繰り返すようなものであり、根本的な解決には結びつきません。