ロマンチックに描かれたアニメーションの裏側で、歴史学の世界では映画の描写に対する批判や再検証が長年続けられてきました。実在の人物としてのポカホンタス(本名:マトアカ、推定1596年頃生)の生涯は、ディズニーが描いたファンタジーとは全く異なる、植民地支配の犠牲者としての過酷な足跡を残しています。
まず、ジョン・スミスとの間に恋愛関係は存在しませんでした。スミスが残した航海日誌や記録によると、2人が出会った当時、スミスは27歳前後の成人男性であったのに対し、ポカホンタスはわずか10歳から12歳前後の少女でした。スミスが先住民族に処刑されそうになったところをポカホンタスが身を挺して救ったという有名な逸話も、先住民族の儀式(疑似的な死と再生を通じた養子縁組の儀礼)をスミスが誤認したか、あるいは後年に自身の武勇伝として誇張・捏造した説が歴史研究者によって有力視されています。
さらに過酷なのはその後の人生です。1613年、成長したポカホンタスはイギリス人入植者によって人質として誘拐・拉致され、ジェームズタウンの植民地に拘束されます。監禁生活の中で英語の習得とキリスト教への改宗を強いられ、洗礼名「レベッカ」を与えられました。そして1614年、タバコ栽培で成功を収めていたイギリス人農園主ジョン・ロルフと結婚します。この結婚は部族間の和平をもたらす政略的な道具として利用された側面が極めて強いものでした。
1616年、彼女は夫ロルフや幼い息子とともにイギリスへ渡航します。イギリス社交界において彼女は「キリスト教に教化された従順で文明的な野蛮人」の象徴としてプロパガンダに担ぎ出され、国王ジェームズ1世への謁見など過密な日程に動員されました。そして1617年3月、ヴァージニアへの帰国の船に乗った直後、テムズ川河口の町グレーブズエンドで突如体調を崩し、わずか21歳前後の若さで病死するという衝撃の結末を迎えます。公式記録に残る死因は肺炎や天然痘、結核などの感染症とされていますが、過酷な環境の変化や精神的ストレスが重なった結果であることは明白です。