すべての始まりは、当時の野球規約に存在した法的な「すき間」だった。前年のドラフト会議でクラウンライターライオンズ(のちの西武ライオンズ)からの指名を拒否し、アメリカへ留学していた江川卓の交渉権が失効する瞬間。それが、1978年のドラフト会議開催前日という唯一無二のタイミングだった。
読売ジャイアンツの法務担当者と球団幹部は、野球規約の条文を精査。「交渉権が消滅した瞬間、江川は自由契約選手となる」という独自の法解釈を打ち立てた。NPB側の隙を突いたこの極秘交渉は、球界関係者のみならず一般社会をも巻き込む大騒動へと発展。制度の盲点を突いたこの強硬策は、日本のスポーツ界における法解釈の危うさを白日の下に晒すこととなった。