大阪城は誰が建てたのか?秀吉の城が地下に眠る歴史の真相と再建の謎についての真相をお届けします。
大阪城は歴史上、大きく分けて3つの時代に異なる主体によって築かれ、改変されてきました。その構造的差異と背景データを一覧表で整理します。
項目詳細・数値データ規模・意匠の特徴歴史的位置づけ・評価初代(豊臣大坂城)築城年:1583年(天正11年)
築城主:豊臣秀吉
焼失年:1615年(大坂夏の陣)5重5階(推定)。黒漆喰の下見板張りに金箔瓦、虎や鶴の華麗な装飾。自然石を積んだ野面積み石垣。天下人の威光を誇示する劇場型軍事拠点。現在は地下数メートルの遺構としてのみ存在。2代目(徳川大坂城)再建年:1620〜1629年
再建主:徳川秀忠(3代家光期に完成)
焼失年:1665年(落雷により天守焼失)5重5階地下1階。白漆喰総塗籠の壮大な天守(高さ約58m)。豊臣期を上回る巨石加工の打込接・切込接石垣。西国支配と豊臣の記憶封印を目的とした統治の城。地上に残る石垣・堀はすべてこれに該当。3代目(現在の天守閣)竣工年:1931年(昭和6年)
再建主:大阪市民(関一市長陣頭指揮)
構造:鉄筋コンクリート造(SRC造)5層8階(地上55m)。徳川の天守台上に、豊臣風(最上層)と徳川風(1〜4層)を融合させた復興意匠。登録有形文化財。近代市民社会の連帯と都市文化復興のシンボルとして建設された現存建造物。