東京都中央区銀座の木挽町に生まれ育った柄本明は、映画好きな家庭環境の影響を受けて育ちました。しかし、東京都立本所工業高等学校を卒業した当初は、俳優ではなく商社(機械会社)のサラリーマンとして勤務していました。
日々のデスクワークをこなす中で「映画に関わる仕事がしたい」という衝動を抑えきれなくなり、俳優を志して劇団青年座の養成所へ入所。その後、自由劇場を経て、1976年にベンガルや綾田俊樹らとともに「劇団東京乾電池」を結成しました。
高度経済成長の残り香と既成概念の崩壊が交錯していた1970年代後半、下北沢を拠点とした劇団東京乾電池は、過剰なメッセージ性をあえて排し、日常の不条理や人間の滑稽さを淡々と暴き出す革新的なスタイルでカルト的な人気を獲得。柄本明の「脱力と緊張が同居する唯一無二の立ち姿」は、瞬く間にアングラ演劇界の伝説となりました。