『出発の歌(たびだちのうた)-失なわれた時を求めて-』が誕生した1971年当時、日本の音楽シーンは大きな地殻変動の渦中にありました。関西フォークを中心とするメッセージ性の強いアンダーグラウンド・フォークと、テレビを中心とした歌謡曲が明確に分断されていた時代です。その境界線を鮮やかに打ち破ったのが、上條恒彦の圧倒的な声量と、小室等率いるフォークグループ「六文銭」による奇跡的な合体でした。
楽曲制作のきっかけは、同年10月に開催された「第3回合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'71」へのエントリーでした。当時、劇団四季出身でミュージカル界で鍛え上げられたベルカント唱法を持つ上條恒彦と、詩的で内省的なアコースティックサウンドを追求していた六文銭。一見すると水と油のようだった両者を結びつけたのは、作曲を手掛けた小室等の柔軟なプロデュース感覚と、アレンジャー木田高介の先駆的なブラスロック的アプローチでした。
舞台関係者の回想録や当時の音楽雑誌の記録によると、初披露となった合歓フェスティバルでグランプリを獲得すると、その勢いのまま同年11月に日本武道館で開催された「第2回世界歌謡祭」に出場し、見事にグランプリを受賞。世界各国の実力派アーティストがしのぎを削るなか、上條恒彦の野太く突き抜ける主旋律と、四條弘恵や及川恒平ら六文銭の緻密なコーラスワークが織りなすダイナミズムは、審査員と満員の観客を完全に圧倒しました。
同年11月25日(一部公認データでは12月1日)にキングレコードよりシングル盤がリリースされると、オリコンチャートで最高2位を記録し、累計売上は70万枚を突破。日本のフォークが「個人のつぶやき」から「万人の胸を打つスタジアム級の讃歌」へと飛躍を遂げた歴史的瞬間となりました。