桑野氏の闘病生活において、精神的な最大の支柱となったのは、2026年3月に急逝した師であり戦友でもある志村けんさんの存在でした。志村さんが亡くなったわずか数カ月後に自身のがんが判明した際、桑野氏は著書やインタビューで「志村さんが天国から呼んでいるのではないか」という錯覚に囚われたと吐露しています。
しかし、絶望の淵で桑野氏の脳裏に響いたのは、「バカ野郎、お前はまだ来るんじゃねえ。生きろ」という志村さんの叱咤の声でした。「志村さんの分まで生き抜くこと、そして志村さんの魂を宿した笑いと音楽を届け続けること」が、桑野氏にとっての生きる誓いとなったのです。
だが、現実は過酷を極めました。術後の抗がん剤治療で使用された薬剤の影響により、重度の末梢神経障害が発生したのです。トランペット奏者にとって命である指先の感覚が麻痺し、マウスピースを唇に当てる微妙な力加減すら分からなくなるという、表現者としての死刑宣告に近い試練でした。
「もう一度、ステージでラッパを吹く」――その一念で、桑野氏は気が遠くなるようなリハビリを重ねました。麻痺の残る指でピストンを押し、失われた口輪筋の感覚を取り戻すために血の滲むような練習を繰り返したのです。この壮絶な再起を一番近くで支えたのが、同じく音楽の道を歩む長男・MASAnobu氏でした。機材の手配からステージングの補佐、時にはデュエットの相手として父を鼓舞し続けた息子の存在が、奇跡のステージ復帰を決定づけました。