野呂佳代が芸能界の表舞台に立ったのは、2006年2月に開催された「第二期AKB48追加メンバーオーディション」でした。応募総数11,892名の中から選ばれた19名(最終合格者17名)の1人として、彼女はAKB48の歴史にその名を刻みます。
当時結成されたのが、初代「チームK」です。前田敦子や高橋みなみらを擁する1期生の「チームA」が王道のアイドル像を走っていたのに対し、2期生によるチームKはレッスン場での激しいダンスと汗、気迫を全面に押し出す「泥臭い体育会系集団」としてのカラーを求められました。野呂佳代は、後にエースとなる大島優子、キャプテンシーを発揮する秋元才加、宮澤佐江ら個性派揃いの同期メンバーの中で、最年長メンバーとして精神的な支柱を担うことになります。
同グループのメジャーデビューシングルとなった『会いたかった』(2006年10月リリース)では、激しい学内選考を勝ち抜いてAKB選抜メンバー入りを果たしました。しかし、急速にグループが巨大化し次世代の若手メンバーが台頭するにつれ、前列で歌うポジションからは次第に後退を余儀なくされます。当時の劇場公演関係者の証言によると、彼女は後輩たちの台頭に焦りを抱きながらも、MCコーナーで誰よりも大きな笑いを取り、劇場の熱気をコントロールする職人肌の役割を一手に引き受けていました。