昭和歌謡と映画黄金期の双方において燦然たる足跡を残した山田真二氏。その基本的なプロフィールと、どのような経緯をたどって国民的スターへと上り詰めたのかを整理します。
山田真二氏(本名:山田常高(やまだ つねたか))は、1937年(昭和12年)3月25日生まれ、東京市小石川区向ヶ丘(現在の東京都文京区向丘)の出身です。戦後の復興期から高度経済成長へと向かう激動の東京で育ち、早くからその秀でた容姿と天性の美声で頭角を現しました。10代後半で芸能界の門を叩くと、1950年代半ばから映画界と音楽界の双方から熱狂的なオファーを受けることになります。
最大の転機となったのは、1956年(昭和31年)に吹き込んだ楽曲『哀愁の街に霧が降る』の大ヒットでした。湿り気を帯びた都会の夜の情景を、甘美かつ端正な低音で歌い上げたこの曲は、ラジオを通じて瞬く間に全国へ浸透。当時としては異例のセールスを記録し、山田真二という名を日本全国に轟かせました。さらに同年、東宝の映画作品でも主演級の役柄を射止め、名実ともにトップスターの仲間入りを果たします。
当時の映画出演歴を辿ると、国民的人気シリーズの関連作である『サザエさんの婚約旅行』(1958年)や冒険活劇の金字塔『新諸国物語 オテナの塔(前篇・後篇)』、後年には日活のメガヒット作のリメイクである『嵐を呼ぶ男』(1966年版)など、ジャンルを問わず多彩な作品に名を連ねています。歌って踊れて芝居もできるという、現代で言えばマルチタレントの先駆けとなる存在であり、昭和の映画スタジオが最も誇る正統派二枚目スターの一人でした。