二・二六事件はなぜ起きたのか?青年将校の動機と処刑までの全真相について専門的な視点から解説いたします。詳細な分析をご覧ください。
近代日本の政治テロを語る上で、二・二六事件と並び称されるのが1932年の「五・一五事件」です。どちらも軍人による武力蜂起ですが、その規模、組織性、および国家に与えた影響には決定的な違いが存在します。当時の公的記録および防衛研究所史料の数値データをもとに、両事件の構造を比較します。
項目五・一五事件(1932年)二・二六事件(1936年)歴史的評価・影響度の差異主導勢力海軍青年将校・陸軍士官候補生・民間右翼陸軍歩兵連隊の青年将校(皇道派)私的な有志集団から正規部隊の組織的動員へ変質動員兵力数数十名規模(実動部隊は20名未満)1,483名(完全武装の正規軍部隊)実兵力において約75倍以上の軍事クーデター規模犠牲者数犬養毅首相ら5名死亡高橋是清蔵相、斎藤実内大臣ら9名死亡・負傷者多数現職首相官邸・私邸・警視庁が数日間にわたり機能停止司法手続き公開軍法会議(減刑嘆願運動が発生)非公開・一審制・弁護人なし特設軍法会議世論への扇動を封殺し、極めて迅速に死刑を執行政治体制への結果政党政治(憲政の常道)が終焉統制派による軍部独裁・軍靴の響きが本格化クーデター失敗にもかかわらず軍の政治介入が完成
五・一五事件では首謀者たちが「憂国の士」として世論の同情を集め、全国から数十万通の減刑嘆願書が集まる事態となりました。その結果、処罰は極めて軽微なものにとどまり、これが二・二六事件を引き起こす温床となりました。しかし、二・二六事件では国家中枢の完全占拠という明白な軍律違反が問われ、厳罰主義によって一転して処断されることになります。