高校を中退した大野智にとって、実質的な「大学」であり「修行道場」となったのが、1997年から1999年にかけての京都時代でした。JR京都駅ビル内に誕生した専用劇場「シアター1200」で開催された舞台『KYO TO KYO』に出演するため、彼は親元を離れて単身京都へ移住しました。
この舞台は、ジャニーズJr.が伝統芸能やダンス、殺陣を披露するエンターテインメントショーでしたが、そのスケジュールは苛烈を極めました。夏休みなどの繁忙期には1日に最大5回公演が行われ、朝から晩までステージに立ち続ける日々が続いたのです。当初は満席だった劇場も、平日の昼間には客席がまばらになり、時には観客が数十人しかいない客席に向かって全力で踊らなければならない精神的重圧もありました。
同世代の若者が高校生活を送り、部活動や学園祭に興じている時期に、大野は京都のアパートで自炊をしながら、豆だらけの足でステージに立ち続けました。この約2年間の過酷な現場経験こそが、のちにプロの振付師や音楽関係者を唸らせる「大野智のリズム感と正確無比なステップ」を完成させたのです。
しかし、あまりにストイックに技術を追求した結果、大野の心には「もうダンスはやりきった。これ以上アイドルとしてステージに立つのではなく、絵やイラストを描く職人として生きていきたい」という引退の思いが芽生えていました。京都での契約満了とともに事務所を辞める決意を固めていたことは、ファンの間でも語り草となっています。