松田聖子が日本社会に与えた最初の巨大な文化的インパクトといえば、間違いなく聖子ちゃんカットの流行です。サイドの髪をレイヤーカットで後ろへ流し、毛先をふんわりと内巻きにカールさせたこのヘアスタイルは、1980年夏のセカンドシングル『青い珊瑚礁』の大ヒットとともに、瞬く間に全国の女性たちの間で大流行しました。
当時の美容業界の記録によると、街中の美容室には松田聖子のレコードジャケットやグラビアの切り抜きを持参する女性が殺到し、パーマ比率が前年比で急伸。女子中高生から女子大生、若いOL、果ては当時の女性タレントに至るまで、猫も杓子もサイドを外ハネにブローする光景が日常風景となりました。これは単なるヘアトレンドではなく、70年代の山口百恵さんが象徴していた「どこか憂いを帯びたリアリズムの少女像」から、80年代の幕開けを告げる「ポジティブで光り輝くアメリカンポップス的な開放感」へのパラダイムシフトを象徴する出来事でした。
しかし、彼女の真の凄みは、社会全体が自らの模倣で埋め尽くされた1982年1月、名曲『赤いスイートピー』のリリースと同時に、トレードマークだった髪をバッサリと切り落とし、ショートボブに変身した点にあります。流行の頂点で自らアイコンを破壊し、次のステージへと軽やかに移行する大胆な変革力こそが、同時代のライバルたちを圧倒し、80年代アイドルの頂点へ登り詰める決定打となりました。