結核性脳膜炎という肉体の病に倒れる前、中也の生命力はすでに精神的な絶望によって削り取られていました。その決定的な契機となったのが、1936年11月における長男・文也(ふみや)の急逝です。
1934年に誕生した文也を、中也は自らの命以上に溺愛していました。しかし、わずか2歳で小児結核により夭折。愛息の小さな遺体を前にした中也の慟哭は激しく、この悲劇を境に精神の均衡を完全に崩してしまいます。
「文也が呼んでいる」と幻聴を聞いて夜の街を彷徨い、息子の遺髪を肌身離さず持ち歩くなど、深刻な精神衰弱と錯乱状態に陥りました。一時は千葉県市川の脳病院(精神科病院)に入院するほど病状は悪化。中也にとって、文也の喪失は単なる悲嘆を超え、生きる意志そのものを根底から打ち砕く致命的な打撃となって肉体を蝕んでいきました。