1982年2月8日、東京・永田町の「ホテルニュージャパン」で発生した火災事件は、死者33名・負傷者29名を出す未曾有の惨事となりました。スプリンクラーの未設置や杜撰な防災体制が次々と露呈し、記者会見で「煙が出ただけで大したことはない」「悪いのは火元」と言い放ったホテルニュージャパン社長(実質的オーナー)横井英樹は、日本中から激しい怒りを買いました。
当時、わずか10歳だったZeebraの日常は、この日を境に暗転します。高級住宅街にあった自宅には連日抗議の街宣車が押し寄せ、無数の嫌がらせ電話が鳴り響きました。名門私立小学校の教室内でも状況は一変し、同級生たちから「人殺しの孫」と冷酷な言葉を浴びせられる日々が始まります。
自著『HIP HOP LOVE』などの自伝的告白において、Zeebraは当時の心境を「昨日まで友達だった周囲の態度が一変し、世界のすべてが敵に見えた」と述懐しています。大人の都合で突然背負わされた社会的制裁と深い疎外感。この少年期のトラウマこそが、後に彼が既存の社会秩序に中指を立て、レベル・ミュージックに魂を奪われる決定的な引き金となりました。