駅のプラットフォームから乗り込んだ電車の天井を見上げても、あの独特のレイアウトで刷られた紙の中吊り広告は見当たりません。株式会社文藝春秋は、2021年8月に「週刊文春」の車内中吊り広告を同年秋をもって終了すると電撃発表しました。ピーク時には全国の主要鉄道路線に毎週数万枚規模で掲出されていた名物広告が幕を下ろした背景には、出版ビジネスにおける避けられない構造変革が存在していました。
最大の要因は、通勤電車の乗客における視認行動の劇的な変化です。かつては車内での暇つぶしとして中吊り広告が熟読されていましたが、スマートフォンの急速な普及により、乗客の視線は一斉に手元のスクリーンへと落ちました。年間で数億円規模にのぼるとされた中吊り広告の印刷費・鉄道会社への掲出枠費用に対して、広告接触率や実売への費用対効果が著しく悪化していた現実は見逃せません。
さらに編集現場における「情報漏洩リスク」と「校了タイミングの縛り」も大きな理由でした。紙の中吊り広告を木曜日の朝に掲出するためには、本誌発売よりも数日早くデザインを確定し印刷所に回す必要がありました。このタイムラグの間に、他媒体へのスクープ漏洩が発生したり、直前に起きた大事件への差し替えが困難になったりするジレンマを抱えていたのです。機動力を最優先する調査報道機関として、物理的な紙広告の制約を断ち切る決断は必然の帰結だったと言えます。