千人塚が単なる口伝や伝説にとどまらないことは、近代以降の都市開発や道路拡幅に伴う千人塚の発掘調査の経緯が雄弁に証明しています。全国各地で行われた緊急発掘調査では、郷土史の記述を裏付ける壮絶な遺構が相次いで確認されてきました。
神奈川県鎌倉市の沿岸部や由比ヶ浜周辺、あるいは戦国期の激戦地近くに位置する千人塚の調査報告書には、刀剣による切り傷(切創)や刺し傷が刻まれた大量の人骨、頭蓋骨に矢尻が突き刺さったままの遺骨が記録されています。一般的な中世の墓地遺構とは異なり、座棺や木棺に納められた形跡はなく、大溝や円形の穴に折り重なるようにして人骨が埋葬されていました。中には女性や子どもの骨、粗末な銅銭(六文銭)を握りしめた遺骨も含まれており、合戦の巻き添えとなった庶民の過酷な最期を生々しく伝えています。
発掘に携わった考古学研究者の手記には、「土層の断面から大量の骨片が現れた瞬間、現場の空気が一変した」「文献上の『数百人戦死』という一行の文字が、突然圧倒的な質量を持った生々しい真実として眼前に突きつけられた」といった記述が残されています。土中から現れる遺物は、後世の人間が作り上げた創作物ではなく、かつてこの国土で懸命に生きていた無数の名もなき人間が確かに存在した証拠なのです。