宇野亜喜良のキャリアを語る上で絶対に外せないのが、劇作家・歌人である寺山修司との運命的な邂逅です。1967年、寺山修司、横尾忠則、東松照明らとともに設立された演劇実験室「天井桟敷」において、宇野は劇団の視覚的アイデンティティを一手に担いました。
寺山が紡ぎ出す土俗的かつシュルレアリスムに満ちた前衛的な言葉に対し、宇野はヨーロッパのデカダンスとアール・ヌーヴォーを融合させたような、耽美で毒のあるビジュアルを提示しました。『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』をはじめとする伝説的な舞台ポスターは、当時の若者たちの心を強烈に揺さぶり、原宿や新宿の街頭に貼られたポスターが次々と剥がされて盗難に遭ったという逸話は今なお語り草です。
当時の関係者の証言によると、寺山と宇野はお互いの才能を深く認め合いながらも、常に緊張感のあるクリエイティブな鍔迫り合いを繰り広げていたといいます。土着的でエネルギーの塊だった寺山ワールドに、宇野の持つ洗練されたヨーロッパ的エスプリとエロティシズムが注入されたことで、「天井桟敷」は単なるアングラ演劇を超えた総合芸術として世界的な評価を獲得することとなりました。