インターネット上の一部コミュニティでは、時に「道徳の教科書のようだ」「綺麗事すぎて気恥ずかしい」といったシニカルな批判が見受けられることがあります。冷笑主義が蔓延しやすいネット社会において、真っ直ぐな言葉が警戒されるのは珍しいことではありません。
しかし、この評価は重大な誤読に基づいています。「人として」が歌っているのは、いわゆる「トキシック・ポジティビティ(毒になるポジティブ思考)」の対極にある概念です。他者の裏切りや嘘を「許しましょう」と寛容を強要しているのではなく、「相手がどうあれ、自分は騙す側の人間になり下がりたくない」という、極めて鋭利な自己規律を表明しています。
「信じる」という行為を、受動的なお人好しの態度ではなく、「裏切られるリスクを完全に引き受けた上で行う主体的な選択」として定義し直している点が、この歌詞の真骨頂です。受動的な善人ではなく、自覚的な表現者としての矜持。そこを読み解いたとき、この曲が甘いお説教などではなく、冷たい現実に対する強烈なプロテストソングであることが理解できます。