多くの鑑賞者が抱く「これはどこまで実話なのか?」という疑問に対し、歴史的記録と照らし合わせると、本作は「大胆にして精緻な創作(フィクション)」であると断言できます。劇作家トム・ストッパードとマーク・ノーマンによる脚本は、シェイクスピアの生涯における「失われた歳月(ロスト・イヤーズ)」と呼ばれる記録の空白期を逆手に取り、史実の断片を巧みにパッチワークしたメタフィクションです。
実際に歴史上記録されている事実と映画の創作ポイントを精査すると、以下の境界線が浮かび上がります。
第一に、ヒロインである「ヴァイオラ・デ・レセップス」という女性は完全な架空の人物です。シェイクスピア自身は18歳で年上のアン・ハサウェイと結婚しており、ロンドンで劇作家として活躍していた時期も故郷ストラトフォードに妻子を残していました。映画のラストで描かれる情熱的な不倫劇は、彼の残した戯曲やソネット(14行詩)に描かれる「ダーク・レディ(黒髪の貴婦人)」の影を投影したロマンティックな翻案にすぎません。
第二に、当時のライバル劇作家クリストファー・マーロウの存在です。映画ではウィルが嫉妬混じりに意識しつつ、居酒屋での刺殺事件を自らの責任と誤認して苦悩する場面が描かれます。マーロウが1593年5月にデプトフォードの居酒屋で喧嘩により刺殺されたのは紛れもない歴史的事実ですが、彼がシェイクスピアにプロットの助言を与えたという描写は映画オリジナルの洒脱なユーモアです。
第三に、わずか約8分間の出演でオスカー助演女優賞をさらったジュディ・デンチ演じるエリザベス女王の描写です。女王が公営劇場に直接足を運んで平民に混じって演劇を鑑賞することは史実ではありませんでした。当時は劇団が宮廷に召し出されて御前公演を行うのが常態でした。しかし、芸術を庇護し、男権社会の中で冷徹な統治者であり続けた彼女の威厳と孤独は、歴史の真実を驚くほど鮮やかに捉えています。