この名盤を語る上で避けて通れないのが、リードトラック「君は天然色」にまつわる壮絶な制作の背景です。当時、はっぴいえんど以来の盟友であった作詞家の松本隆は、最愛の妹を心臓病で亡くし、深い失意の底にいました。街の景色がすべて色を失い、白黒に見えていた松本は、大瀧からの執筆依頼を断ろうとします。しかし大瀧は「松本が書けるようになるまで何ヶ月でも待つ」とスタジオワークを止め、友の復活を信じて待ち続けました。
やがてペンをとった松本が絞り出した言葉が、あのあまりにも有名な導入部でした。 「想い出はモノクローム 色を点けてくれ」 弾けるようなピアノと華やかなブラスセクションの裏側に潜むのは、喪失によって灰色に閉ざされた視界に、もう一度色を取り戻そうとする切実な祈りでした。この背景を知ることで、きらびやかなポップソングは一転して、人間の痛みに寄り添う至高の鎮魂歌としての深みを帯びます。
一方、ファンの間で屈指の人気を誇る名曲「恋するカレン」にも、忘れがたい物語が存在します。この楽曲は、松本隆自身の若き日の苦い失意の恋という「実話」が元ネタになっていると数々の証言で語られています。別の男性の助手席に座るカレンを遠くから見つめる主人公の視線。歌詞に描かれる「キャンドル・ライトが ガラス窓に揺れている」という情景は、虚構の映画のような甘美さを漂わせながらも、誰もが一度は経験したことのある「選ばれなかった側の痛み」を冷徹なまでに美しく切り取っています。
また、「カナリア諸島にて」の制作背景も極めて象徴的です。松本隆はこの詞を書いた当時、カナリア諸島に一度も足を運んだことがありませんでした。旅行パンフレットや写真集の断片的なビジュアルと想像力を極限まで研ぎ澄まし、「風が吹き抜ける架空の楽園」を言葉で立ち上げたのです。大瀧詠一が求めたのは、湿っぽい私小説的なリアリズムではなく、徹底して美意識で濾過された「記号としてのリゾート」でした。この虚構性の徹底こそが、時代や地域を限定しない普遍的なサウンドスケープを生み出す原動力となりました。