心電図検査における「ST部分」とは、心室の筋肉全体が興奮(脱分極)を終えてから、元の安静状態(再分極)へと戻る移行期間の電位を示しています。正常な心臓であれば、この期間は心室全体に電位差がないため基線(等電位線)と同じ高さで水平に推移します。しかし、心筋梗塞でST上昇が起きる背景には、細胞レベルでの急激なイオンバランスの崩壊と「透壁性心筋虚血」があります。
心筋梗塞の主因は、動脈硬化巣(プラーク)の破綻に伴う血栓形成です。この血栓が冠動脈を完全に閉塞すると、その血管が灌流していた領域の心筋は、心内膜側から心外膜側に至る「全層(透壁性)」で酸素供給を断たれます。酸素が枯渇した心筋細胞では、ATP(エネルギー)の産生が停止し、細胞膜の「ナトリウム-カリウムポンプ」が機能不全に陥ります。その結果、細胞外へカリウムが漏出し、虚血部位の静止膜電位が浅くなる(脱分極したまま戻らない)現象が発生します。
この健全な心筋細胞と虚血・壊死に瀕した心筋細胞との間に生じる電位差は、医学的に「傷害電流(Current of Injury)」と呼ばれます。心筋が収縮し終わった電気的無反応期(ST部分)において、電極側(心外膜側)に向かってこの傷害電流が流れ込むため、心電図波形上ではST部分が見かけ上大きく持ち上がる「ST上昇」として記録されるのです。
また、心電図誘導とST上昇の部位には厳密な解剖学的対応関係が存在します。どの誘導で波形変化が起きているかを確認することで、医師はカテーテル室に入る前から閉塞血管を即座に特定します。
- 前壁・中隔梗塞(V1〜V4誘導の上昇):左冠動脈前下行枝(LAD)の閉塞を示唆。広範囲の心筋に影響し、重症化しやすい領域。
- 側壁梗塞(I、aVL、V5、V6誘導の上昇):左冠動脈回旋枝(LCx)または前下行枝対角枝の閉塞。
- 下壁梗塞(II、III、aVF誘導の上昇):右冠動脈(RCA)または回旋枝の閉塞。徐脈性不整脈や右室梗塞の合併に注意を要する領域。