山川豊『函館本線』誕生の裏に何が?兄・鳥羽一郎との絆と壮絶闘病の真相

山川豊『函館本線』誕生の裏に何が?兄・鳥羽一郎との絆と壮絶闘病の真相

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山川豊(本名:木村春敏)は、三重県鳥羽市の漁師町に生まれ育ちました。高校卒業後に上京し、地道なレッスンとオーディションの日々を経て、1981年2月5日にシングル『函館本線』で東芝EMIより念願のメジャーデビューを果たします。

この楽曲の作詞を手掛けたのは、数々の演歌・歌謡曲の名作を世に送り出してきたたきのえいじ氏(作曲:駒田良昭氏、編曲:前田俊明氏)。『函館本線』の歌詞に描かれているのは、北国の凍てつく寒さのなか、小樽から函館へと向かう列車の中で揺れる女心と、引き裂かれた愛の未練です。当時22歳という若さだった山川豊に対し、制作陣はあえて哀愁漂う大人の情念を歌わせる勝負に出ました。

当時の音楽プロデューサー陣の証言によると、スタジオ収録では「ただ声を張り上げるのではなく、列車の走行音や雪の静寂を感じさせる抑揚」を徹底的に追求したと伝えられています。哀愁を帯びたハスキーボイスと端正なビジュアルのギャップは、瞬く間に全国の歌謡ファンの心を捉え、有線放送チャートを駆け上がっていきました。

その圧倒的な支持は数字にも表れ、同年の「第23回日本レコード大賞」新人賞をはじめ、主要な音楽賞の新人賞を総なめにする快挙を成し遂げました。まさに『函館本線』は、山川豊という不世出の歌手の運命を決定づけた不朽のマスターピースです。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。