歴史学習で多くの人が混乱しやすいのが、五箇条の御誓文が発布された翌日の慶応4年3月15日に出された「五榜の掲示(ごぼうのけいじ)」との関係です。同じ新政府が出した方針でありながら、両者のトーンは驚くほど乖離しています。
なぜ新政府は、前日に「旧来の悪習を破る」と宣言しておきながら、翌日には江戸時代と瓜二つの民衆規制看板を立てたのでしょうか。
その背景には、新政府の「急進的な改革による社会秩序の崩壊を防ぎたい」という強い警戒感がありました。戊辰戦争の混乱期において、農民の一揆や打ちこわし、キリスト教の急速な拡散は政権の致命傷になりかねません。対外・指導層向けには「進歩的な文明国」の顔を見せつつ、内政・民衆向けには「厳格な統制者」として君臨するという、初期明治政権のリアリズムと二面性がここにくっきりと表れています。