園内を歩いてまず驚かされるのは、川に架かるはずの巨大な石橋が、錦江湾に面した海沿いの公園に並んでいる光景です。この特異な景観の裏には、鹿児島都市計画史上最大の危機と決断のドラマが存在します。
江戸末期の天保年間(1840年代)、薩摩藩の家老・調所広郷の財政改革とインフラ整備計画のもと、肥後(熊本)の名石工・岩永三五郎が招聘されました。三五郎の手によって甲突川に架けられた「玉江橋」「新上橋」「西田橋」「高麗橋」「武之橋」は、堅牢なアーチ構造と優美さを兼ね備えた甲突川五大石橋として約150年もの間、鹿児島城下の交通を支え続けました。
しかし、1993年8月6日の鹿児島大水害(8.6豪雨)が悲劇をもたらします。記録的な集中豪雨によって甲突川が氾濫し、新上橋と武之橋の2橋が濁流に呑まれて崩壊。都市水害の再発防止のため川幅拡張や河川改修が急務となる一方、残る歴史的石橋の保存を求める声が沸き上がりました。激論の末、河川の安全確保と文化財の保護を両立させるため、残存した西田橋・高麗橋・玉江橋の3橋を解体し、祇園之洲の地へ移築・復元するプロジェクトが始動。2000年(平成12年)に「石橋記念公園」として開園を迎えました。