清太を糾弾する言説とセットで語られるのが「西宮の叔母=被害者・正論論」です。ネット上では「叔母さんの言っていることは完全に正論」「清太が全面的に悪い」という意見が目立ちます。しかし、昭和20年の過酷な生活実態を歴史学的に検証すると、叔母の振る舞いにも二面性が存在したことが確認できます。
叔母の発言内容そのものは、当時の全体主義体制下において疑いようのない「正論」でした。国家総動員法のもと、隣組制度が機能していた銃後では、「働かざる者食うべからず」は単なる道徳ではなく生存の絶対規範でした。叔母の実の娘や同居の男性下宿人が早朝から軍需工場や学校へ動員されるなか、14歳の健康な男子が家で横笛を吹いている光景は、一家全員が地域社会から「非国民」として白眼視されるリスクを孕んでいたのです。
一方で、叔母が清太たちに対して行った行為のすべてが正義だったわけではありません。火垂るの墓の叔母の嫌がらせの真相を追うと、親族としての情愛を放棄した冷酷な搾取の一面が見えてきます。清太の母が遺した上等な絹の着物を「米に変えてやる」と強引に供出させ、手に入れた白米の大部分を自分の娘や下宿人に優先配分し、清太と節子には雑炊の汁ばかりをよこしました。さらに「疫病神」「これ以上お世話できない」と執拗に心理的圧迫を加え、居場所を奪い取っていったプロセスには、未亡人としての生活苦からくる排外的な悪意が確かに存在していました。
つまり、叔母は「体制の正論」を武器にして、厄介者である孤児2人を合法的に追い出す口実を作っていたと言えます。大人の醜いエゴと正論の暴力に晒された14歳の少年が、居場所を失って頑なになっていく過程は、単なる善悪二元論では片付けられない構造的な悲劇でした。