寺島しのぶが幼少期に抱いた「なぜ自分は舞台に立てないのか」という根源的な疑問は、歌舞伎が400年以上にわたって守り続けてきた「男性のみによって演じられる」という厳格な梨園の掟に起因します。江戸時代初期、出雲阿国によって創始された「女歌舞伎」が風紀上の理由で幕府に禁止されて以来、近代以降の興行形態においても伝統歌舞伎は男性俳優のみで継承されることが鉄則とされてきました。
自著や当時の回想録で寺島自身が語っている通り、弟である八代目尾上菊之助(当時・五代目菊之助)が生まれた瞬間から、周囲の視線と期待は一変しました。同じ音羽屋の血を引き、誰よりも歌舞伎を愛し、立ち回りや台詞を完璧に覚えていた寺島に対し、大人たちから向けられたのは「女の子だから」という無慈悲な線引きでした。当時の特別インタビューでも「弟の稽古風景を襖の隙間から涙を流しながら見つめていた」と明かされた生の告白は、幼少期の彼女の心に刻まれた深い傷を物語っています。
この強烈な挫折感こそが、彼女を一般演劇および映画の世界へと向かわせる原動力となりました。文学座での過酷な修行を経て、2003年の映画『赤目四十八瀧心中未遂』『ヴァイブレータ』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。さらに2010年には『キャタピラー』でベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を獲得するなど、「歌舞伎役者になれなかった娘」から「世界が認める大女優」へと自らの実力で道を切り拓いたのです。