日本の書道史において、公家や宮廷貴族を中心に発展した「御家流(おいえりゅう)」の流れを汲み、独自の進化を遂げたのが有栖川流書道です。その起源は江戸時代中期、有栖川宮第4代当主である霊元天皇の皇子・有栖川宮職仁親王(よりひとしんのう)によって創始されました。
有栖川流の最大の特徴は、流麗な仮名の美しさと、直線的で鋭く力強い漢字の運筆が見事に調和している点にあります。右上がりのシャープな筆勢、文字の中心をしっかりと通す強靭な骨格、そして余白を美しく見せる独自の空間配置は、単なる美文字の領域を超え、国家の威厳を象徴する書風として重用されてきました。
その歴史的重要性を物語る最大の証拠が、1868年に発布された明治天皇の「五箇条の御誓文」正本です。この正本を揮毫したのは、有栖川宮第8代当主の幟仁親王(たかひとしんのう)であり、大日本帝国憲法発布の原本揮毫にも有栖川流が用いられました。まさに近代日本の国家体制が産声を上げた瞬間、その意思を文字として定着させたのがこの流派でした。
しかし、大正時代に有栖川宮家が断絶の危機に瀕したことで、この伝統書風は歴史の狭間に消えかけます。それを救ったのが、有栖川宮の祭祀と財産を継承した昭和天皇の弟宮・高松宮宣仁親王でした。高松宮家へと大切に引き継がれた伝統は、昭和から平成、そして令和の時代へと守り抜かれることになります。