初期シリーズで絶大な人気を博した登役でしたが、第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971年)や第10作『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972年)などを経て、シリーズのレギュラーから姿を消すことになります。この降板理由については当時様々な憶測が飛び交いました。
真相は、当時NHKで社会現象を巻き起こしていた大ヒット時代劇『天下御免』(1971〜1972年)など、テレビ各局からの出演オファーが殺到したことによる物理的なスケジュール調整の限界でした。松竹映画の看板シリーズである寅さんの撮影スケジュールと、他局の連続ドラマ主演・準主演の拘束時間がバッティングし、やむなくレギュラー出演を断念せざるを得ない状況に追い込まれたのです。
そして1977年、芸名を「秋野太作」へ改名します。改名理由については、著名な占い師による姓名判断で「画数を変えることで役者として大成する」との助言を受けたことが直接のきっかけと報じられました。しかしその本質は、「寅さんの登」や「俺たちの旅のグズ六」という強烈な固定イメージを脱ぎ捨て、一人の自立した性格俳優として生きていくための覚悟の表明でした。この改名により、以後はシリアスなサスペンスからホームドラマ、舞台まで幅広い役柄をこなす名優へと進化を遂げたのです。