山本由伸投手の野球人生は、瀬戸内海に面した焼き物の街、岡山県備前市で幕を開けました。伊部小学校1年生のときに「伊部東ベアーズ」で軟式野球を始め、備前中学校時代には硬式クラブチーム「東備スイングボーイズ」で捕手や内野手、外野手を兼任しながら頭角を現しました。当時から突出した野球センスを誇っていたものの、全国的な無名選手の一人に過ぎませんでした。
転機となったのは高校進学です。地元・岡山の強豪私学からも声がかかるなか、山本投手が選んだのは約650キロメートルも離れた宮崎県の都城高校 野球部でした。多くのファンが抱く「なぜ宮崎の名門を選んだのか」という疑問の背景には、中学時代のチームの先輩が進学していた縁と、都城高校を率いていた石原照久監督(当時)の熱心な視察がありました。
地元紙や当時の特番インタビューにおいて、恩師の石原監督は「初めて見た瞬間、投げる球のキレと関節の柔らかさが同世代とは次元が違っていた」と述懐しています。また、山本投手自身も親元を離れて厳しい寮生活に身を置き、甘えを断ち切って野球に没頭したいという強い覚悟を抱いていました。この越境進学という決断が、後に球界を揺るがす天才投手の基礎体力を養う揺籃(ようらん)となったのです。