伊東甲子太郎が暗殺された本当の理由|油小路事件の真相と近藤勇の罠

伊東甲子太郎が暗殺された本当の理由|油小路事件の真相と近藤勇の罠

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歴史小説や映像作品では冷酷な策略家として描かれることも多い伊東甲子太郎ですが、彼と直接関わった人物たちの一次史料を紐解くと、まったく異なる人間的魅力が浮かび上がります。御陵衛士の生き残りである阿部十郎は、後年の史談会速記録のなかで伊東の人物像について「誠に温厚な君子であり、隊士を実の弟のように愛した」と証言しています。また、西村兼文の『新撰組始末記』でも、その容姿端麗ぶりと和歌を嗜む教養の高さが特筆されています。

特に印象的なのは、伊東が絶命する直前に詠んだとされる辞世の句や、日頃から口にしていた和歌に込められた覚悟です。彼は新選組に入隊する際、尊王の志を誤解されることを覚悟のうえで「吹き送る 風に靡(なび)くな しのぶ草 おもふ心の 露もとまらじ」と詠みました。周囲から「幕府の犬になった」と罵られようとも、胸の奥にある勤王の志だけは決して曲げないという凄絶な決意の表れです。

実際に京都市下京区にある油小路事件の現場・本光寺(JR京都駅から徒歩約7分)を現地取材で訪れると、当時の生々しい空気感を肌で感じることができます。油小路通に面した山門の脇には「伊東甲子太郎外数名殉難之跡」と刻まれた石碑が立ち、そのすぐ足元には、喉を貫かれた伊東が最期に腰掛けて息絶えたとされる石(縁石)が今も残されています。大通りの堀川通から一本入っただけの油小路通は、現在も道幅が約6〜8メートルほどと狭く、夜間に40名もの剣客が潜めば、物理的に逃げ場が完全に塞がれる構造であることが一目で理解できます。

また、SNSや歴史コミュニティ、Yahoo!知恵袋などの反応を検証すると、近年のファンの間では「現地・本光寺の狭い路地を歩くと、7人で遺体を引き取りに向かった鈴木三樹三郎や藤堂平助の無謀とも言える義理堅さに胸が締め付けられる」「泉涌寺の塔頭・戒光寺にある伊東甲子太郎や藤堂平助の墓所を訪ねると、今でも花が絶えないことに驚く」といった現場目線の声が数多く寄せられています。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。