世間を驚かせた1973年11月14日の得度式。51歳を迎えた人気作家がすべての髪を剃り落とし、「瀬戸内寂聴」として生まれ変わった背景には、抜き差しならない恋愛の葛藤と、文学的行き詰まりへの強い危機感がありました。
当時、晴美さんは作家の井上光晴氏と小田仁二郎氏という2人の男性との複雑な三角関係に身を置いていました。この赤裸々な愛憎劇を自ら投影して描き、1963年に女流文学賞を受賞したのが代表作『夏の終り』です。愛することの苦しみ、他者を傷つける罪悪感、そしてどうしても断ち切れない執着。情念を昇華させて高い評価を得たものの、実生活での泥沼の情事は容易に解消されませんでした。
「このままでは愛に狂って自分自身を滅ぼしてしまう、あるいは筆を折らざるを得なくなる」——。そんな極限の精神状態の中で見出した唯一の活路が、世俗の欲を断ち切る出家でした。当初はカトリックの修道女を志したものの過去の奔放な生活から断られ、最終的に作家・今東光大僧正の手引きによって中尊寺で天台宗の僧侶として得度を果たしました。
出家は決して世を捨てた逃避ではありませんでした。むしろ、「これ以上誰をも傷つけず、命を削って言葉を紡ぐための再出発」であり、自らの情念を完全に文学と他者への慈悲へと振り向ける覚悟の決断だったのです。