なぜこのような奇妙なねじれ現象が生じたのかを解き明かすには、昭和から平成にかけての「都庁移転」と、戦時中に断行された「東京市の解体」という2つの歴史的事実に立ち返る必要があります。
まず多くの人が抱く誤解として、「1991年に丸の内から新宿へ都庁が移転したから問題が生じたのではないか」という見方があります。東京都庁は戦後長らく千代田区丸の内(現在の東京国際フォーラムの地)に置かれていましたが、庁舎の老朽化と狭隘化、さらには多摩地域を含む都内全体の均衡ある発展を目指し、当時の鈴木俊一都知事の強力なリーダーシップのもとで1991年(平成3年)4月に西新宿へ移転しました。建築家・丹下健三氏が設計した新庁舎への移転は、バブル期の日本を象徴する一大プロジェクトとして国内外で大々的に報じられました。
しかし重要なのは、丸の内にあった時代でも、小学校のテストの答えは「千代田区」ではなく「東京」だったという点です。つまり、移転によって表記問題が生まれたわけではありません。
問題の真の火種は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)7月1日に施行された「東京都制」にあります。それまで東京府の中に存在していた「東京市(15区、のちに35区)」が、戦時体制の強化を目的とした首都行政の一元化によって完全に廃止されました。市役所と府庁が統合されて「東京都」となり、下位組織として特別区が誕生したのです。この瞬間に、日本全国で唯一「都道府県庁が置かれる基礎自治体としての市」が消滅するという、前代未聞の行政構造が完成しました。