なぜサザンオールスターズは、親・子・孫の3世代にわたって熱狂的な支持を集め続けることができるのでしょうか。その本質を探ると、フロントマン桑田佳祐氏の言語感覚の革新性と、日本人の集団的無意識に訴えかける祝祭空間の創出という、2つの明確な理由が浮き彫りになります。
第一に挙げられるのが、「日本語のロック化」と「情緒的な日本詩」の二面性です。デビュー当時の桑田氏は、英語のグルーヴを日本語に乗せるため、母音を意図的に崩し、スキャットのように言葉を紡ぎました。当時の音楽評論界からは「歌詞が聞き取れない」と批判を浴びたものの、これこそが今日定着しているJ-POPのライミング(韻踏み)の基礎となりました。
一方で、バラード曲で見せる日本語の美しさは圧巻です。『真夏の果実』の「四六時中も好きと言って」や、『Ya Ya (あの時代を忘れない)』に見られる青春の後悔とノスタルジーは、古典文学のような余韻を残します。桑田氏は自著やインタビューでも「言葉の意味よりも響きを優先することもあるが、最後に残るのは日本人の心の琴線に触れる哀愁である」という趣旨を語っており、この計算されたアンビバレンスがリスナーの心を掴んで離しません。
第二に、音楽社会学における「ハレ(祝祭)」と「ケ(日常)」の完璧な循環です。サザンの楽曲群は、夏の海や熱帯夜に代表されるような開放的なエロティシズムや馬鹿騒ぎ(ハレ)を提供する一方で、秋の訪れとともに感じる孤独や喪失感、日常の疲弊(ケ)に寄り添う鎮魂歌を同時に内包しています。リスナーは狂騒と哀愁を行き来することで、自らの人生の節目をサザンのメロディとともに記憶に刻み込んできたのです。