春申君の死因は、病死や戦死ではありません。紀元前238年、考烈王の死の直後、宮門である「棘門(きょくもん)」で待ち伏せしていた李園の刺客によって首を切り落とされた暗殺でした。この凶行の根底には、楚の王権を巡る歪んだ秘密工作が存在します。
事の発端は、考烈王に長年男子(後継者)が生まれなかったことでした。楚の国権が揺らぐことを恐れた春申君に対し、趙出身の策士・李園が自身の妹である李環を差し出します。春申君は李環を寵愛し、やがて彼女が妊娠しました。
ここで李園は、春申君に恐るべき計略を持ちかけます。
「王に子がいない今、いずれ王弟が即位すれば、長年権力を握ってきたあなた様は必ず排斥されます。妊娠初期である我が妹を王に献上し、王の子として出産させれば、生まれる子は実質的にあなた様の血を引く楚王となり、楚の全土は未来永劫あなたのものになります」
春申君はこの悪魔の提案を呑み、李環を考烈王に後宮入りさせました。策略通り李環は男子(後の幽王)を産み、王妃に立てられ、李園も朝廷で急速に発言力を強めていきます。しかし、秘密を共有する李園にとって、真相を知る最大の権力者である春申君は「いずれ自分を消し去る最大の脅威」でしかありませんでした。李園は密かに刺客を養成し、春申君の命を奪う機会を冷徹に狙い続けていたのです。