そもそも、なぜ山城新伍にこのような芸当が可能だったのか。そのルーツを辿ると、東映株式会社の黄金期を支えた時代劇や仁侠映画、そして数々のアクション作品に行き着く。彼はもともと、映画のスクリーンで泥臭く、時にギラギラとした男の色気を放つ本格派の俳優だった。
映画界の斜陽とともに活動の場をテレビへと移した彼は、映画の現場で培った圧倒的な度胸と、人間観察から生まれた軽妙な話術を日本の芸能界で開花させる。映画俳優特有のダンディズムを漂わせながら、口を開けば下ネタすれすれの冗談を機関銃のように繰り出す。そのギャップが、当時の視聴者にとってたまらなく新鮮だったのだ。
下品と上品のスレスレを綱渡りする感覚。これは後進のタレントが容易に真似できる技術ではない。映画スターとしての揺るぎない矜持があったからこそ、あのような脱力フレーズを口にしても決して下劣にならず、どこか洒脱な大人のエスプリとして成立させることができたのである。