有吉弘行という人物を語る上で、1996年の日本テレビ系バラエティ番組『進め!電波少年』でのユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画を抜きにすることはできません。この一大社会現象を端緒とする猿岩石時代の月収推移は、まさに日本の芸能史に残る乱高下のドラマそのものです。
帰国後、CDシングル『白い雲のように』がミリオンセラーを記録し、著書は軒並みベストセラー。当時の熱狂の中で記録した有吉弘行の最高月収は、本人の手記や過去のテレビ特番インタビューによると「2,000万円」に達していました。20代前半の若者にとって、毎月通帳に見たこともない桁の数字が印字される日々は、金銭感覚を狂わせるには十分すぎる劇薬でした。
しかし、バブルの終焉は残酷なほど急速に訪れました。ブームの沈静化とともに仕事は激減し、ブーム終息からわずか数年でスケジュールは真っ白に。月収は数百万円から数十万円へと急降下し、最終的には「仕事ゼロ・月収0円」のどん底へと突き落とされました。当時の自著『毒舌訳 哲学者の言葉』や後の述懐において、彼は「通帳の残高が目減りしていく恐怖で毎晩眠れなかった」「近所のコンビニで一番安いパンを選び、部屋で一人震えていた」と生々しく告白しています。
この「天国から地獄への転落」という痛烈な原体験こそが、現在の有吉弘行の血肉となっています。年収数億円に達した現在でも「1カ月の食費は3万円程度で済んでいる」「普段の食事は蕎麦屋かチェーン店の定食、自炊の鍋で十分」と語る驚異的な倹約スタイルは、ケチなのではなく、一度死の淵を見た人間ならではの「強迫観念に近い自己防衛策」なのです。