西行の劇的な死を知った当時の貴族歌人たちは、言葉を失うほどの衝撃を受けました。
のちに『小倉百人一首』を撰者として編纂し、『新古今和歌集』の中心人物となった藤原定家は、自身の日記『明月記』のなかで西行の最期に触れ、深い畏敬と羨望の念を記しています。定家やその父・藤原俊成にとって、西行は形式美に傾倒しがちだった当時の宮廷和歌に対し、生きた実感と魂の祈りを吹き込んだ偉大な先達でした。
「歌の道」と「仏の道」を見事に合一させ、自らの言葉通りの最期を遂げた西行の生き様は、中世の文人たちにとって理想の往生(死に際)の象徴となったのです。
この西行の美学は、時代を超えて江戸時代の俳聖・松尾芭蕉へと受け継がれます。芭蕉は西行を生涯の師と仰ぎ、その足跡を辿って『おくのほそ道』の旅に出ました。さらに近代以降の文学者や現代の日本人に至るまで、「桜の下で静かに逝きたい」という死生観の原型として深く息づいています。