『はだしのゲン』における「ギギギ」の正体は、登場人物たちが奥歯を粉々に砕かんばかりに噛みしめる「歯ぎしりの擬音」です。一般的な漫画表現で怒りや悔しさを表す擬音といえば「ギリ…」や「ギリギリ」が主流ですが、中沢啓治のペン先から生み出されたのは、硬質でどこか金属的な響きすら帯びる「ギギギ」という独特のオノマトペでした。
この表現が作中で用いられる状況には明確な共通点があります。それは、登場人物が「理不尽極まりない暴力や抑圧、差別、あるいは己の無力さ」に直面し、言葉による反論や物理的な抵抗すら許されない絶対的な極限状態に追い込まれた瞬間です。
生前の中沢啓治氏の手記や回想録『はだしのゲン わたしの遺書』などでも明かされている通り、ゲンたち中岡家が戦前・戦中・戦後に受けた仕打ちは想像を絶するものでした。「非国民」としての激しい村八分、原爆投下による家族の生きたままの焼死、戦後の飢餓と差別。叫び声を上げることすら許されない圧倒的な理不尽に対し、喉の奥から絞り出すように発せられる魂の摩擦音、それこそが「ギギギ」という描写の真の意味なのです。