この像の制作を統括したのは、近代日本彫刻のパイオニアであり『智恵子抄』で知られる高村光太郎の父、西郷隆盛像の作者高村光雲でした。光雲にとって、このプロジェクトは彫刻家人生最大の試練となりました。
光雲が遺した自伝『幕末維新懐古談』には、制作過程での凄絶な葛藤が赤裸々に記されています。本人の生前写真が存在しない中、光雲は西郷の旧友や元志士たち数百人に面会を重ねました。しかし、会う人ごとに「西郷先生はもっと目が鋭かった」「いや、慈愛に満ちた仏のような顔だった」「鼻がもっと丸かった」と証言がことごとく食い違い、原型制作は困難を極めました。
さらに光雲は、鑑賞者が像を見上げる角度を徹底的に計算した高度な遠近法補正(パースペクティブの錯視調整)を施しました。高台に置かれた高さ約3.7メートルの巨像を地上から見上げると、通常の等身比率では頭部が小さく見え、胴体が不自然に誇張されてしまいます。光雲はこれを防ぐため、意図的に頭部を大きく、首を太く造形しました。
正面近距離から撮影した写真では「短足で頭でっかち」に見えることがありますが、実際に台座の下に立ち、下から仰ぎ見ると、驚くほど自然で堂々としたプロポーションに見えるよう緻密に設計されています。これは木彫仏師の伝統技法を近代ブロンズ彫刻に応用した、光雲ならではの卓越した職人技です。