今日でこそスポーツ界における産休制度や託児環境の整備が進みつつありますが、宮本知美が長男を出産した2005年当時、日本女子サッカー界にはそうしたサポート体制は事実上皆無でした。当時の特番インタビューや手記において、彼女は当時の過酷な葛藤を次のように明かしています。
「子どもを産んだら引退するのが当たり前という空気の中で、自分の中に『まだサッカーをやり切りたい』という強い情熱が残っていた。でも、周りに前例がひとつもない。自分が復帰することで、チームや家族に迷惑をかけるのではないかという恐怖と毎日戦っていました」
現場取材によると、復帰直後は母乳をあげながらの筋力トレーニング、睡眠不足のまま迎える早朝練習など、肉体的にも限界に近い日々が続いたといいます。遠征先への子どもの帯同についても、当時は「母親が競技に集中できるのか」といった冷ややかな視線が向けられることも少なくありませんでした。
しかし、彼女はその批判をピッチ上の圧倒的なパフォーマンスでねじ伏せました。誰よりも走り、誰よりも身体を張ってボールを奪う姿に、チームメイトやサポーターは心を打たれ、次第にチーム全体で彼女の育児を支える温かい連帯感が生まれたと当時のクラブ関係者は証言しています。ネット上でも「彼女の覚悟があったからこそ、今のアスリートの道が開けた」「母としても選手としても本物」といった称賛の声が定着しています。