「100万ドルの夜景」という言葉が誕生した舞台は、1953(昭和28)年の神戸・六甲山です。当時、関西電力の幹部(広報担当者や後の社長となる太田垣士郎氏ら)が、六甲山頂から見下ろす神戸から阪神間・大阪にかけての圧倒的な夜景に感銘を受け、ある試算を行いました。
その試算とは、「視界に広がる約496万個の電灯が一カ月間に消費する電気代はいくらか」というものでした。計算の結果、1カ月の電灯料金は約4億2900万円に達することが判明します。当時の為替レートはブレトンウッズ体制下の固定相場制で「1ドル=360円」。これを米ドルに換算すると約119万ドルとなり、「およそ100万ドル」というキャッチコピーが生まれました。
戦後間もない日本において、米ドルは「富と繁栄の象徴」であり、世界で最も強固な通貨でした。単に「4億円の夜景」と呼ぶよりも、「100万ドル」と表現したほうが先進的で洗練された響きを持っていたため、新聞や観光PRを通じて瞬く間に全国へ広まったのです。