エジプトへ渡った彼女は、過酷な生活環境のなか猛勉強を重ね、難関とされるカイロ大学文学部社会学科へ進学。現地での生活は決して平坦ではなく、言語の壁や文化の違いと格闘する日々が続きました。
習得した卓越した語学力を武器に、在学中からアラビア語通訳として頭角を現します。リビアの最高指導者だったカダフィ大佐や、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長といった歴史的要人への単独インタビューで通訳およびコーディネーターを担当。度胸満点で国際情勢の最前線に飛び込む姿は、メディア関係者の間で瞬く間に評判となりました。後に巻き起こる学歴や経歴を巡る議論の根底にも、この前例のない異国での奮闘劇が存在しています。