ファンの間で長年議論を呼んできたテーマの一つに、「南野秀一と妖狐蔵馬は二重人格なのか」という論点があります。結論から言えば、これは解離性同一性障害のような二重人格ではなく、同一の魂が異なる環境と肉体を通じて経験を統合した進化形です。
暗黒武術会編で「前世の実」の煙を吸い込んだ際、秀一の肉体は一時的にかつての妖狐の姿へと退行しました。この時点では「妖怪としての過去の自分」が表層化した状態でしたが、魔界統一トーナメント編に至る頃には、秀一の姿のままでも妖狐の冷徹な知略と魔界植物を操る能力を完全にコントロールできるようになっています。
両者の本質的な違いは、判断基準における「情の有無」です。南野秀一が倫理観や仲間への信頼を最優先に行動するのに対し、妖狐蔵馬は勝利のためなら冷酷な罠を張り、敵を精神的に追い詰める残虐性を躊躇なく発揮します。この二つの精神性がせめぎ合い、最終的に「大切な者を守るために冷徹な妖怪の力を振るう」という形でアイデンティティが調和した点に、蔵馬というキャラクターの圧倒的な深みがあります。